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教会の歴史

福岡の地に

福岡渡辺通教会は、1893年(明治26年)に逸見尚憲師によって日本基督(キリスト)教会福岡講義所を前身として開設され、伝道が開始されました。そして、翌1894年には、日曜日の主日礼拝の他に週に一度の祈祷会と聖書研究会が開かれていたことが知られています。そのようにして、徐々にではありますが、この福岡の地に福音伝道が進展していきました。しかし、時は明治時代、1889年に「大日本帝国憲法」が発布され、また翌1890年には「教育勅語」が発布された後のことでした。しかも、1894年には日清戦争が勃発しています。そのような時代状況の中でしたので、伝道開始の当初は必ずしも順風満帆なものではなかったと伝えられています。ですが、同じ年の1894年の『日本基督(キリスト)教会鎮西中会記録』には、「日清戦争ノ為伝道困難少カラネド真摯ノ求道者ニ遇フノ便アリ……志願者男一名入会希望者三名 求道者六、七名アリ 安息日集会ハ信徒五名未信徒二、三十名アリ」という記録が残されています。確かに、この時代は伝道困難な状況ではありましたが、それでも確実に福岡の地に福音の種はまかれていったことが伺えます。

講義所から教会へ

1906年4月16日に福岡講義所は、福岡基督(キリスト)伝道教会となりました。当時は20名に満たない礼拝出席者数の中で礼拝が捧げられていたことが記録に記されています。ですが、当時において牧師が教義要領の講義を行っていたという記録も残されています。そのことから、20世紀初頭の福岡において、すでに牧師が信徒に対してキリスト教の教義についての講義(おそらく信仰問答教育であろう)を行い、改革長老派の教会の伝統に立った教会形成を行っていたことが分かります。また、同じ年には教会に集う青年たちが、伝道のための夕礼拝を主催し、盛会となったことが伝えられています。そのようにして、福岡渡辺通教会の前身である福岡基督(キリスト)伝道教会は、翌1907年に地域に医大(九州大学医学部)が開設されたこともあり、青年たちが多く集う教会となりました。そして、1908年には最初の教会堂を献堂したことが資料には記されています。

講義所から教会へ

日本キリスト教会福岡教会として独立

1910年に日本基督(キリスト)教会福岡教会として独立しました。当時の会堂は現在とは異なった位置にあり、天神町三番地という旧県庁の隣にあったとされます。そして、この当時の福岡教会は「然れども福岡若松等の教勢は近頃著しく好況を呈し」と中会の記録にあるように、勢いのある教会であったことが知られています。また、1920年代に入ると、藤田治芽師の時代には、伝道集会が盛んに行われ、講師として金森通倫、亀谷凌雲、植村正久といった当時の名だたる伝道者たちを招いて礼拝を捧げたという記録が残されています。そして、植村正久を始めとした日本基督(キリスト)教会に属する指導者たちの影響もあり、福岡教会は長老派教会としての歩みを始めていきました。

1930年に渡辺通4丁目に移転し、新たな鉄筋コンクリート造りの会堂を献堂しました。

教会福岡教会として独立

日本キリスト教団に加盟

1941年には太平洋戦争の直前に成立した合同教会である日本キリスト教団に加わることになります。そして、同年12月には太平洋戦争が勃発します。クリスチャンが信仰を守ることが困難な時代にありました。ですが、それでも、なんとかして教会は信仰を守り抜いてきたのです。

その時期に、日本基督(キリスト)教会福岡教会は、日本キリスト教団に加盟し、名称を「日本キリスト教団福岡渡辺通教会」と改め、今日まで信仰を守り抜いて来ました。

日本キリスト教団に加盟

戦後の教会

戦後になると、中国東北地区(旧満州)と朝鮮からの引揚者が博多港と山口県の仙崎港に帰還しはじめました。当時、福岡渡辺通教会の牧師は秋月致牧師でした。秋月牧師は朝鮮の京城日本基督(キリスト)教会で二十五年間にわたって牧会されたこともあり、多くの引揚者の信徒たちが秋月師を頼ってきました。その人たちの中には、福岡渡辺通教会に転会する者もあり、当時の教会は「引揚者教会」と呼ばれたほどであったと言われています。

また、当時の牧師であった秋月牧師は、植村正久に薫陶を受け、旧日本基督(キリスト)教会以来の長老派の伝統を固く守る教会として着実に教会形成を進めていました。しかし、その一方で、メソジスト教会の祖であるジョン・ウェスレーの研究もしていることから、長老教会の伝統を尊重し、守りつつも、他教派とも対話をする姿勢を打ち出していたことが知られています。

戦後の教会 戦後の教会 戦後の教会

現会堂の建築とこれから

1974年、松井敏郎牧師のときに教会堂が現在の所在地に新築移転されました。現在、私たちが礼拝を捧げている会堂はそのときに建てられたものです。

そして、現在も福岡渡辺通教会は福岡天神の地において、イエス・キリストの十字架と復活という福音を証しし続ける教会として、天神の地に十字架を高く掲げる教会として建ち続けるのです。

現会堂の建築とこれから 現会堂の建築とこれから 現会堂の建築とこれから 現会堂の建築とこれから

福岡渡辺通教会の信仰について

福岡渡辺通教会は、古代教会の教父たちと宗教改革者たちが語ってきた聖書的信仰を継承している正統的なプロテスタント教会です。

私たちは、旧新約聖書を正典とし、使徒信条を始めとする基本信条および宗教改革によって生み出された諸信仰告白に堅く立ち、「日本基督(キリスト)教団信仰告白」を教会の信仰的な規範として告白する教会です。

また、旧日本基督(キリスト)教会の伝統である長老制を受け継ぐとともに、ただ主の御旨を尊重することを教会員の総意とすることに努め、日本におけるまことにして一つなる公同教会の形成を目指す教会です。 私たちの教会は、以下に掲げる信仰告白を告白する教会です。

日本キリスト教団信仰告白   
我らは信じかつ告白す。

旧新約聖書は、神の霊感によりて成り,キリストを証(あかし)し、福音(ふくいん)の真理を示し、教会の拠(よ)るべき唯一(ゆいいつ)正典なり。されば聖書は聖霊によりて、神につき、救ひにつきて、全き知識を我らに与ふる神の言(ことば)にして、信仰と生活との誤りなき規範なり。

主イエス・キリストによりて啓示せられ、聖書において証せらるる唯一の神は、父・子・聖霊なる、三位一体(さんみいったい)の神にていましたまふ。御子 (みこ)は我ら罪人(つみびと)の救ひのために人と成り、十字架にかかり、ひとたび己(おのれ)を全き犠牲(いけにえ)として神にささげ、我らの贖(あがな)ひとなりたまへり。

神は恵みをもて我らを選び、ただキリストを信ずる信仰により、我らの罪を赦(ゆる)して義としたまふ。この変らざる恵みのうちに、聖霊は我らを潔めて義の果(み)を結ばしめ、その御業(みわざ)を成就(じょうじゅ)したまふ。

教会は主キリストの体(からだ)にして、恵みにより召されたる者の集(つど)ひなり。教会は公(おほやけ)の礼拝(れいはい)を守り、福音を正しく宣 (の)べ伝へ、バプテスマと主の晩餐(ばんさん)との聖礼典を執(と)り行ひ、愛のわざに励みつつ、主の再び来りたまふを待ち望む。

我らはかく信じ、代々(よよ)の聖徒と共に、使徒信条を告白す。

我は天地の造り主(ぬし)、全能の父なる神を信ず。我はその独(ひと)り子(ご)、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女 (おとめ)マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府(よみ)にくだり、三日目に死人のうちよりよみがへり、天に昇(のぼ)り、全能の父なる神の右に坐(ざ)したまへり、かしこより来りて、生ける者と死ねる者とを審(さば)きたまはん。我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交はり、罪の赦し、身体(からだ)のよみがへり、永遠(とこしえ)の生命(いのち)を信ず。

アーメン。